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被災地ボランティア活動(2011/4/30-5/1)

4/30(土)、5/1(日)と自転車バトラー隊隊長の呼び掛けに応じ、4名が東日本大震災被災地ボランティア活動を行いました。
活動拠点は、宮城県内で唯一県外ボランティアを受け入れている「岩沼市災害ボランティアセンター」。土砂などを運び出す一輪車のパンク修理など資材整備を担当することに。岩沼市は小型飛行機が流されている映像で有名となった仙台空港のすぐ近く、海沿いなので津波の被害が甚大でした。

1名は仕事が見つかったものの、残りの3名は次の作業まで数時間がありました。そこで建築士であるメンバー他2名は近くの被災した岩沼教会へ行き、被災した建物の復旧方法のご相談を受けました。岩沼教会は築81年の絵本に出てくるような美しい石造りの教会です。

教会は塔と礼拝堂から成り、損壊が著しいのは塔でした。


この教会は地震の無い国の作り方。石を積んでその間をモルタルで固めたもので、揺すられれば崩れるものだという事、そうならないためには鉄筋を入れたコンクリート壁にする必要がある事、を建築士メンバーは牧師さんに説明していました。

ただし礼拝堂は両壁に梁が渡してあったため、損傷はなく、その梁を下から支えてあげれば問題ないということでした。問題は塔で、美しい現在の外装を保とうとするならば、石の壁は飾りとし、その内側に塔を支える鉄筋コンクリート壁を建て、それに石の1つ1つをアンカーで固定するという方法があるとのことでした。

西洋の重々しい完全な石造りの教会とは異なり、壁や窓枠や床に磨きこまれた黒光りしている木を使っているため、温かみのある素晴らしい教会でした。ぜひ残してもらいたいと願いつつ、美しく、歴史的にも重要な教会を見せて頂いたことにお礼を言ってお別れしました。
ボランティアセンターに戻り、20名程度でグループ分けされてミーティングをし、注意事項を簡単に説明され、リーダーが指名されました。
マイクロバスで現場へ向かうと、そこは学校や工場や住宅に囲まれた30x30m程度の広さを持つ畑で、後でメンバーの一人が調べたところ、海岸線から直線で2.4km離れていました。
有機野菜を育ててきたその畑は津波と共に流れて来た松の枝、藁、ノイバラと泥が混じった10センチ程度の厚さの泥の層で覆われていました。
私達の作業は、この層を取り除くこと。その後、石灰などでpH調整し、畑として使うそうです。実際の作業は、ゴム手袋で泥や藁の塊を丈夫なゴミ袋に持てる程度の重さまで入れて、袋が幾つか溜まると一輪車で畑の入口に積んでおくというものでした。

50分やって10分休憩、を2度繰り返して終了、という2時間作業を20名程度でおこないましたが、午前にも作業されていたのでほぼ終了し、翌日の午前中にもう一度入れば片付け終わるだろうとの事でした。

もう1名は個人の住宅の敷地内の泥掻きをしました。泥は固まって、男性でも剣スコップという先の尖ったもので無ければ歯が立たなかったそうです。通常のスコップは重いので、特に女性には全く役にたたず、やや小さ目のものを借りてようやく泥をゴミ袋に入れる作業ができたという事でした。40-50枚ほどあったゴミ袋は全て使い切ってしまったので作業終了となったということでした。

仕事をしてセンターに戻ると、高圧洗浄機で長靴を洗い、ゴム手袋やスコップは盥で洗って、終了です。

炊き出し隊がラーメンを振る舞ってくれ、ご馳走にもなりました。
カナダ人の大学教授という小柄な女性も茨城から駆け付けて参加されていました。
宿への帰りがけに、海岸の方へ被災状況を見に行きました。車を走らせてすぐにこれまでの景色は一転し、破壊され尽くした世界が突然目の前に現れました。流されてきた泥が乾いて風に混じり、独特の匂いがし、恐らく田んぼであったであろうそこには、トラックが落ちたままになっており、屋根だけが2軒分流れ着いており、電柱は倒れ、着物が引き出しごと放り出され、道路は崩れたままになっていました。津波の爪痕がそのまま残されており、私達は言葉を失いました。

海岸とほぼ隣接していた住宅地は悲惨でした。家はほぼひっくりかえっており、立っていたとしても壁が丸裸に剥ぎ取られ、家財道具が丸見えになっていました。

その中で神社の社や鳥居だけは不思議とほぼ無傷で立っていました。また近くには遺品だと思われる宝石箱、真珠のブローチ、古い葉書の束、ビデオカメラなどが綺麗に並べられていました。
私達はさらに海に近づき、大半の箇所で津波で壁がえぐり取られた堤防を見ました。堤防は幅10m、高さも同じくらいで、なだらかな山型に作られていたにも関わらずです。場所によって海側がえぐり取られたところもあれば、陸側がえぐり取られたところもありました。こんな巨大なコンクリート構造物が使い物にならなくなるまで破壊されているのを見て、津波の力が想像を超えていたことに気付き、初めて恐怖を感じました。

その後、真っ暗な仙台空港や流された小型飛行機を見つけたりしつつ、宿へ向かいました。
宿の輪王寺に着くと、自転車バトラー隊の小島隊長がミーティング後、私達を待っていて下さり、握手を交わし、『緑の防潮堤』の話しを御住職から聞くと良い、と教えて頂きました。小島さんは別の宿へ戻られました。

翌朝、御住職から300kmの海岸線に沿って地面を掘り起こし、24年分の廃棄物処理量である瓦礫を埋めて土を被せ、それでできた山の側面に木を植える緑の防潮堤のお話を聞きました。コンクリート堤防と違い、水をはじき返すのではなく、吸い上げるので強度があり、植える樹木は松など今回の津波で悉く流された浅根性の樹木は避け、残った深根性かつ潮風に強い樹木を植えて人々の憩いの森にする、という計画です。
これは植物生態学の世界的権威である横浜国立大学名誉教授の宮脇昭氏の提言であり、昨日内閣府に提出したとの事でした。既に荒浜海岸で試験が始まろうとしているとも。希望が持てる話を聞く事ができ、本当に嬉しく思いました。
災害復旧の小さなお手伝いをしつつ、被災状況と立ち上がろうとしている東北の方達の力を感じ、今後もできることをしていきたいと感じつつ仙台を後にしました。

(文責:北林麗子)

被災地体力支援・自転車バトラー隊
http://www.facebook.com/311butler


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