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執筆者の写真webmaster

しまなみ海道サイクリングの旅」実況レポート

★★★2日目の報告★★★

<公式記録係の 望月 大さんから2日目のレポ到着>  ※グループ別行動のため、下記内容は当日記録者が直接見聞したことが中心であることをご了承下さい。

2008年7月21日(月)  6:30にボランティアスタッフは起きて朝食の食卓を並べ始める。どうも自分は体が冷えきっている。それもそのはず、強力なクーラーが一晩中ゴンゴンとフル稼働して冷風を噴き出し続けていたのである。暗闇の中で調整ダイヤルを探した自分であったがどうしても見つからず、冷たい風を止めることができなかったのだ。

 さて、準備ができて昨日と同じ席で朝食を摂る。席を決めておくと好き勝手にばらばらに座らないので、デリケートな参加者達の混乱が避けられるのである。これも大島副代表の配慮であった。メニューはご飯、味噌汁、小鉢、海苔、生卵など。自分は生卵が苦手なので、正面に座っていた國友ファミリーのご主人に勧めてみた。毎食3人前はいけそうな、立派な体格の方である。「よろしければどうぞ」「いえ、もう食べられませんので」「でも1つだけでは足りませんでしょう」「本当は食べたらいけないんです」「?」怪訝な顔をする自分に奥さんが教えてくれる。「主人は調理師なんです。本当は生卵は(衛生上の理由で)食べたらいけないんです」そうなのか。生の貝もだめとのことで、初の知識であった。

 食事の最中も大島副代表からアナウンスがある。「バスは7:45に開きます。荷物を全部入れて下さい。1人3個のおにぎりと1本のお茶を受け取ってから乗って下さい。出発は8:00です」なるほどそうだったのか。スイカ割りに必要な棒を探すよう頼まれた自分がさっき旅館の前庭でうろうろしていたら、「おにぎり屋です」と小型のバンがきていた理由が分かった。車から降りたのはきれいな若い女性で、自分は宿の厨房に伝えるとともに、いそいそとおにぎり運びを代行してあげたのであった。そうこうしているうちに旅館のご主人からスイカ割りの棒を提供してもらった。木の枝の比較的真っ直ぐな部分を切って、きれいに洗ってくれたのである。杖のような感じに仕上がった棒、サイズや剛性は十分である。礼を言って受け取る。そうしているうちに荷物を出すのが遅れてしまった自分、最後の一人かと思って部屋に入ると、参加者2人を前に武田さんが必死に絵筆を走らせている。

 そして8:09バスが出発する。西畑勝明さんはレンタサイクルを確保すべく、早朝にショップに向かったとのこと。事前予約ができないからとのことで、借りられればと祈らずにはいられない。そして8:30尾道港海岸通り近くの大型駐車場に到着。レンタサイクルは必要数が無事に取れ、皆安堵する。西畑さん、お疲れ様でした。サイクリングする方々は早速フィッティングを開始する。人数分のヘルメットも西畑さんが用意した23個を各自に配る。

 9:12準備を終えて集合した全員に大島副代表が「気を付けて楽しみましょう」と訓示をされる。次いで、地元・備後エリアのMTBクラブ「マウンテン・ポテト(http://potato.swee.to/main.html)」から参加され、ランの先導・伴走ボランティアとしてご協力頂く平野清一さん、佐藤裕幸さん、出川博章さんよりご挨拶があった。  大島副代表が本サイクリングについてインタビューを受けて放送されたラジオ番組が縁となり、ご参加の運びとなったのである。クラブ名の由来は?との問いに、「山のイモ兄ちゃんとイモ姉ちゃんの集まりなんです」と。どうしてどうしてさわやかなスポーツマンの方々です。竹沢荘一代表より3着のクラブティーシャツを贈呈し、それを着てもらうことになった。

 そして竹沢代表の挨拶となる。「いよいよ今回のメインイベント、しまなみサイクリングになります。暑いので頑張りすぎず、無理なく休みながら楽しんで、いい思い出を作りましょう」続いては準備体操、一般ボランティアの森西正夫さんのコーチングで柔軟運動を充分行って体をほぐす。  そして9:25全員が岸壁に集合し、自転車を前に並べ、海と山をバックに記念撮影。 9:30 先行組の16人が、向かい合って並ぶ参加者の拍手と激励の中を通って出発する。  そして最後になぜか子供用自転車に乗ったオーストラリア男性がゆっくり行こうとする。冗談でしょうスティーブさん、あなたは徒歩のグループです!そして残りのグループはそれぞれの行動を開始したのであった。


 出発前、第4グループ(徒歩散策組)の副リーダー・佐々木みきさんに、スイカ割りの棒を託す。バスに置くと忘れるし、杖として使えば手元から離さないので無くさないでしょうからぜひとお願いし、快く引き受けてもらう。

 自分はビデオ撮影・記録担当としてサポートバンに乗り込む。運転手は一般ボランティアの井上昭男さん、医療と自転車メンテナンスサポートの埜口保男さん、山陽新聞の青木記者と4人で9:36に発車。

 まず立ち寄ったのは大型スーパー。スイカ割り用のスイカと、飲料冷却用の氷とビニール袋、飲めるし怪我の洗浄や熱射病者の体を冷やせる水を買うのである。早く揃えようと埜口さんと店に駆け込み、大量のタダの氷とスチロール箱3個も含め、全アイテムを入手した。ありがとう尾道サティ。早速車に積み込んで10:00に出発。

 ほどなくして最初のグループか、グリーンシャツのサイクリスト軍団が見えてくる。「あ、いた!」しかし一瞬で追い越す。自転車とは速度の違う悲しさ、走行中の車からは撮影できず、皆さんのお顔もよく分からないのだった。

 さて、いよいよ第一の橋、(旧)尾道大橋である。新尾道大橋は自転車・歩行者道がないので旧の橋を渡るのだが、ここの歩道が非常に狭いのである。

 ガードレールの内側は幅50cmほどしかなく、自転車走行は不可能だ。自転車ならば車道の左端をと思うだろうが、デリケートな方々もいるのでよろけたりすると危険である。ここは仕方なく徒歩で渡った橋であった。自転車はバスで運んだそうである。

 サイクリングマップにはこう書いてある。『尾道大橋には歩道が狭く危険なため渡船をご利用下さい』 しかし今回は船を手配するのは大変で、時間がかかるので仕方がない。橋を渡って向島に上陸し、最初の休憩所でバスと合流したのが10:12。15分後、第2グループの5人が拍手と歓声の中を出発する。  瀬戸内の空が快晴で皆を応援する。サポートカーは道ばたが少し広い場所を見つけて停車する。10分後、先ほど送り出したグループが追い付いてきたのでじっくり撮影する。  そして次なる橋へ向かい、島を横断する。海が見えず山に囲まれた風景が十数分も続くと、島とは思えずまるで本州の山の中を走っている心地がする。と、埜口さんが「いや、植生が違うよ」と木々の名や葉の形の違いを説明する。聞くと初期の国内ランではポケット植物事典を持って、勉強しながら走ったそうである。


 差し渡し7kmほどの向島の横断に20分もかかったろうか、どの島もそうだが橋には周囲をぐるぐると大回りして乗るのである。

 そして10:46、因島大橋を渡り終える。この橋は二層構造となっており、上が車道、下が自転車専用道である。この、トンネルのようになっている自転車道を渡ってくる参加者の位置を確認したいと、埜口さんはカーボン自転車を取り出して素早く組み立て、10:57に走り去る。そして数分後に携帯電話で情報が入る。


 「あと2kmで来るぞ!」自分はビデオカメラを手にして、徒歩で因島大橋の自転車道口に向かう。数分で大島第三歩道橋の階段、続いて大島第一歩道橋、これは写真のように2層構造の因島大橋の階下から出てくる自転車専用道を20mほど下に見下ろす絶好の撮影ポイントである。

 そして11:15、碓井るみ子さんがリーダーの第3グループの6人、1,270mの因島大橋を渡りきって到着! 井上涼太君、「走ってきた!」と大きな喜びの声。青木記者は手帳にペンを走らせカメラも使う。人が自転車道口を出て、 上述の大島第一歩道橋の下を通過するのを撮影する。  実はこれは演出で、自転車道口から大島第一歩道橋の上まで歩くと2分かかるので続けては撮影できず、6人にはいったん自転車道口まで戻ってもらって3分後に再出発するようにお願いしていたのであった。これが11:32であった。それにしても、各グループからサポートカーにあまり電話が入ってこない。取り決めでは各グループから、1~2時間置きにサポートカーに現在地の報告(撮影のため)があることになっているのだが。(旅のしおり5ページ、1~2行目に記載)

 それから数分後、今度は総勢17人の、第1グループと第4グループの一部の方々の連合部隊が自転車道口に到着、リーダーは竹沢代表である。この日、西畑さんと宇都宮さんの2台のタンデム自転車の後部シートには、中馬田鶴子さん、川上祈子さん、井上貴文君、棚橋和彦君ら何人もが代わる代わる乗ったとのこと。

 ビデオに撮った元気な少年は貴文君と和彦君か。「ん?」橋を渡って停車し、一休み中の皆さん、なにやら路上の小構造物に集まっている。見てみると橋を渡ったことを称える記念スタンプの小ブースであった。一人ひとりが手元の用紙にスタンプを元気よく押す音がポン、パンと響く。いい思い出になるでしょう。竹沢代表に例の演出撮影について説明し、ご協力を心からお願いしたが、30mといえども戻りたくない、早く行きたいとのお答えであった。そして自転車の第1グループはランを継続し、徒歩の第4グループは歩道橋を登り始める。


 快晴下の運動で、皆さんおなかがすいたでしょう。おにぎりはもう食べましたか…?やがて埜口さんが戻ってくる。「自転車でどうやってここまで降りましたか?」聞くと、自分と同じ階段だらけの歩道橋二つをカーボン自転車をかついで降りてきたそうである。サポートカーに戻ると、氷入りの冷たい飲み物が参加者に喜ばれた、と井上さん。すると電話が入る。常時バスに待機している大島副代表から移動要請である。歩行者グループの一部が道の都合で車イスの方と一緒に集合地点に戻ることができなかったため、お迎えに行くのである。急いで海辺にある因島大橋記念公園に向かう。到着すると別のグループが昼食をしようと待っている。自分は全体の詳細を悉皆しておらず、全員ここで食べるのか分からずうろうろしたり、自転車の積み込みを手伝ったりする。と、少し離れた鉄工処分場の横で、先行の第1グループの2台が頓挫している。聞くとパンクしたとのことで、他の自転車達は先に行ったという。後輪のチューブを外して懸命に修理中の宇都宮さんを埜口さんがサポートする。合わせて約20万キロ踏破のサイクリスト達によってチューブは直されてタイヤに収まり、インフレータで膨らまされる。それを横目で見ながらおにぎりをほおばる自分であった。そして修理が終わった2台はランを再開する。

と、さほど間を置かず1台からサポートカーに電話が入る。「またパンクしました」 レンタサイクルのチューブはパッチが無意味なほど疲弊しきっていたのだろう。タイヤのサイズを聞いた埜口さん、「ハチサンのチューブを買う!」ちょうど道路脇にはおあつらえのホームセンター、ユーホーがあるので車を止めて駆け込む。26-1 3/8のチューブと、念のため英式バルブの虫ゴムも引っつかみ、即買いする。そしてそれらを持った埜口さんがカーボンで突っ走って行ったのが13:12であった。後刻結果が判明した。埜口さんが到着したら、すでに手近なサイクルショップで直したそうである。

そしてまた大島副代表から緊急指令。予定の時刻となったので生口島橋を渡って一般道と合流する地点に集合し、そこを今回のサイクリングの最終地とする旨を知らされる。行くと大型バスが停まっており、サイクリストたちが三々五々山の上から降りてくる。


 事前に企画していた橋近辺のサイクリングと、歩行者にとっては予定したサンセットビーチに行けなかったのでスイカ割りはできなかったものの、全員が予定の三つの橋を渡り終えてゴールすることができ、皆で行った満足と心地よい疲労感を漂わさせている。


3人がかりでサポートカーに無理やり7台の自転車を詰め込み(よく入ったと感心)、井上さんはレンタ店に返しに行く。大変ありがたいことにマウンテン・ポテトの方で手配して下さったもう1台のバンも来て、宇都宮さんが手際よく自転車を積み込んだ。大型バスの床下には残った自転車を収容する。ハンドルやペダルが引っかかるので何度も出し入れしながら、これでもかとブチ込んだ。皆がバスに乗った14:41、大島副代表よりサイクリングの終了の挨拶がなされる。

戻りはバスを飛ばすだけとあってたったの35分で尾道港に到着。自転車を出すのは簡単で、あっという間に作業が終わる。何台かのマッドガードはでこぼこになっている。ショップにクレームされねばいいが。そして15:55、一行は大阪に向けて出発したのであった。埜口さんはしまなみ海道が未体験なので滞在を伸ばして走りたいと、一人で残る。皆バスの窓から手を振って見送る。

旅の余韻冷めやらぬ参加者達がゆったりと過ごしている車中、武田さんが盲導犬ティファちゃんも含めて全参加者の似顔絵をようやく描き終わる。本当にお疲れ様でした。16:52竹沢代表が「事故が無くてよかったです。皆さんありがとうございました」と挨拶され、続いてはサプライズの、参加者に対する表彰式となった。「國友はるひ殿、2008年度、CVJ・青い鳥共催のしまなみ海道に参加され、暑い中、三つの橋を車椅子を使って渡られたことを証明します。2008年7月21日、サイクルボランティア・ジャパン代表・竹沢荘一、青い鳥ことばの会代表・大島政広」金色の飾り枠で縁取られた立派な表彰状が贈呈された。同じく車椅子で参加された川上祈子さんと大島伸恵さんにも渡された。

皆の拍手が鳴り止まぬ中、全参加者一人一人の名前を読み上げながら、表彰状(全行程を行かれた方)または証明書が渡されたのであった。ゲストボランティアのお二人や一般ボランティアの方々に対しても、感謝状によって感謝の意が表された。

17:10、今度はクイズ大会となる。これは今回の旅にちなんだクイズ20問を大島副代表が用意して、各問ごとに正解者がジャンケンをして、勝者が賞品を受け取るのである。賞品は消費しきれずかなり残っていたお酒、ドリンク、スナックなどであり、問題ごとにジャンケンポン!と大きな声が響き、賞品が次々に手渡される。全問が終了して1問5点で集計すると、なんと85点が1人いて優勝となった。賞品はまだあり、欲しい人のジャンケンが続いた。この2日で100回はジャンケンの声が聞かれたか。使わなかったスイカも無駄にはならない。スイカ割りの発案者、川口さんファミリーにプレゼントされたのであった。

クイズ大会の後は歌と音楽の時間となる。高島さんの美声と森西さんのハーモニカの音色が、バスの中にこだまする。そしてサービスエリアでの休憩を挟み、18:14から反省会となる。まずは大島副代表、「企画の至らなさを反省しますが、いかがでしたでしょうか?」これに全員が力一杯の拍手で応える。続いて竹沢代表、「皆さんのおかげで大変楽しい旅でした。次回はもっとよいものにしたい」と力強く宣言された。そして一人一人が思いのほどをつづる。発声が難しい参加者も、精一杯の声で「ありがとうございました」、万感の思いが伝わるのであった。

さて今回特筆すべきは貸切バスの運転手武村さん、多くの荷物や自転車の取り扱い、数十回の路上駐車と大変な2日間で、最後に残った大量のゴミまで快く受けて下さったのであった。

 大島副代表の心からのお礼に対して、ボランティア精神でやったとの武村さんの言葉であった。夏の日暮れは遅いとはいえ、19時を過ぎると暗くなる。旅の疲れか、皆静かになりこっくりと頭を傾かせる。そして20:40から21:10にかけてJR及び阪急の茨木市駅、京阪の枚方市駅に到着する。参加者は別れを告げ、各々の家路につく。今宵は素敵な夢を!


7月26日17時 望月 ***************************************************** ★山陽新聞のWebNewsに載りました。 記事 7月23日 13時 「ささきん」 ***************************************************** ★生口橋の絶景ポイント 7月21日 14時30分 「ささきん」 ***************************************************** ★タンデムに挑戦する中馬(ちゅうま)さんと愛犬ティファ、タンデム世界一周された宇都宮さん 7月21日8時0分 「ささきん」 ***************************************************** ★★★初日の報告★★★ <公式記録係の 望月 大さんから届きました。長いですよ!!!> 2008年7月20日(日) 大型バスの待ち合わせ場所のここ茨木市は朝から快晴、完全に梅雨明けして、関東では今年はまだ耳にしない蝉しぐれがうるさいくらいである。夏らしい健康的な、すがすがしい天気である。3つある待ち合わせ場所で、参加者の全57人が一人も欠けることなく全員揃う。すばらしきかな。  そして9:15、旅への期待に満ちた大型バスは発車した。まもなく中国自動車道に入る。今回の旅を企画した大島副代表が司会となり、参加のCVJメンバー、看護ボランティア、そしてゲストの方々の氏名と役割を紹介する。

 9:29、竹沢代表より「暑いですが注意して楽しいイベントにしたいと思います。ボランティアの皆さんに感謝します」と挨拶。その後は大島副代表から旅の日程について、配布物に準じて丁寧な説明がなされた。参加者に配られたのは10数ページにわたる詳細な旅のしおり、一目で大変な労作であることが分かる。そして「似顔絵」についての説明が続く。1995年以来関西で似顔絵ボランティアをされているゲストの武田さんが全参加者の似顔絵を描いて下さるという今回のイベントの一つである。この日の夜に全員の絵を描くのは難しいので、描く順番を抽選で決めようというのである。竹沢代表が手にした袋から紙片を一枚ずつ取り出しながら、「1番岸本さん、2番大塚さん・・・」と発表すると当たった人の歓声があがり、皆の拍手が続く。

 規定の人数に入らなかった方々は武田さんがお顔を撮影してそれを元に描いた絵を後日郵送するとのことになった。続いては参加者の自己紹介である。メンバーの一人は挨拶代わりに笑話を披露した。「-父ちゃん疲れたよ、ハワイまだ? -息子よ、黙って泳げ」ちっともうけない。

   そのせいではないが道は混みに混んで、本日の宿泊所「大新旅館」に到着したのは、予定を約2時間遅れた13:51であった。おなかが空いた参加者は、お昼のカレーをまたたく間に平らげ、何人もがお代わりをしたのであった。

 そそくさと荷物を整理後、14:52に全員を乗せたバスは尾道市観光に出発した。最初の行き先は小高い丘の上に位置する千光寺公園、ここではファミリーとボランティア単位での自由行動となった。気温は37度くらいか、大変暑い。

 「猿の国」に行きたいという中川ファミリーに同行した自分は公園案内図を見て先に歩いたが、猿の国がない!道を間違えたのであった。ごめんなさい。引き返して2軒の店に聞き、ようやくわかった急な坂道を下るとありましたよ猿の国が。これは直径10mの敷地に高さ12mほどの塔が立つコンクリ製の猿山で、あまりの暑さに参った猿たち2、3匹が、塔の穴倉にこもって寝転んでいるだけであった。戻ってソフトクリームを食う。うまい。そこここの木陰や店の影で多くのファミリーが涼んでいる。

 16:26にここを辞し、16:52に浄土寺着。ここは国宝及び重要文化財の、鎌倉時代からの由緒あるお寺である。急な石段の一部がトンネルで、その上を電車が通っている。同行の盲導犬ティファ君、お清め水を浴びて涼しそうな顔をする。お寺の境内は鎌倉時代そのままの簡素で厳かな作りで、見ていると心が清々しくなるようだ。30数分の見物でここを辞し、宿には17:36に到着。

昼と同様に夕食は1階と2階に分かれて摂り、海の幸、山の幸を十分堪能する。  そして19:02、今日のメインイベントである全体交流会が開始となる。小さな舞台がしつらえられた2階大広間で武田さんがワイヤークラフトを実演する。これは銅線を綿棒に巻いて一部を曲げて、トンボを作るのである。続いてはビーズを使ったネックレスとブレスレット作りも指導、参加者は夢中で作ってできばえを見せ合いにっこりとご満悦であった。 続いてはゲストの高島さんによるミニコンサート、素敵なシャンソンをたっぷりと披露し、最後は皆で声を合わせてシャントウを歌って大いに盛り上がる。 座敷では武田さんが次々に似顔絵を描いている。  続いては「夜店やさん」5軒を開店、これは昔懐かしいオモチャやキャラクターの景品が、番号で区分された台紙に80個ほど貼り付けられているもので、くじを引いて出てきた番号の景品をもらうのである。各自7枚もらったチケットで7回楽しめるのだが、欲しい豪華景品はなかなか当たらない。皆ドキドキしながらくじを引くのであった。

   ほぼ全部の景品が出尽くしたころ、愛媛県からはるばる車と船と自転車を乗り継いできた宇都宮さんが20:44から、夫妻の10万5千キロの素敵なタンデム自転車ランを、テレビを使って動画でたっぷりと紹介した。

 スティーブ・シールさんも壇上にあがり、今回は来られなかったエミコさんから皆さんへの差し入れ「マタタビ酒」を披露、夫妻の隣家の手製で1998年物とのことで、あとでロックで頂いた。滑らかでコクのある一品である。最後は大島副代表よりCVJの抱負「ボランティアとアドベンチャーを両立したい」を延べてお開きとし、大変濃い内容の2時間半であった。  そしてお待ちかね、皆が外に出て、1ファミリーに1袋とたっぷり用意した花火を存分に楽しんだのであった。  その後は入浴、そしてアルコールを楽しむ参加者交流会であらためて自己紹介をし、心のこもった感謝の言葉も聞かれたのであった。


明日はこの旅のメインイベント「しまなみ海道サイクリング」だ!

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